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南部利用 (吉次郎) : ミニ英和和英辞書
南部利用 (吉次郎)[なんぶ としもち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南部 : [なんぶ]
 【名詞】 1. southern part 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
利用 : [りよう]
  1. (n,vs) use 2. utilization 3. utilisation 4. application 
: [よう]
  1. (n,n-suf) task 2. business 3. use 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

南部利用 (吉次郎) : ウィキペディア日本語版
南部利用 (吉次郎)[なんぶ としもち]

南部 利用(なんぶ としもち)は、陸奥盛岡藩の第11代藩主。ただし、公式には同一人物とされたが、この名を名乗った人物は2人いた。本記事ではその1人目の人物について記述する。幼名は駒五郎、のち吉次郎で、いわば本物の南部利用である。
== 生涯 ==
文化4年(1807年)12月19日、中屋敷南部家当主・南部信丞の長男として生まれる。信丞は第7代盛岡藩主・南部利視の孫で、第10代藩主・南部利敬の従兄弟にあたる。母は南部信居(利視の次男)の娘で、信丞・利敬の従姉妹にあたる。
文化年中に南部利敬の養子となり、加賀藩藩主前田斉広の娘と婚約した。文政3年(1820年)に養父の利敬が死去したため、その家督を継いだ。年少のため、又従兄である支藩七戸藩藩主南部信鄰が補佐として盛岡に下向して藩政に参画する。
しかし文政4年(1821年)5月、庭の樹木で遊んでいる最中に転落し、そのときの怪我が原因で8月21日に死去した。享年15。
利用が第11代将軍・徳川家斉御目見せずに死去してしまったため、盛岡藩の改易減封を恐れた家臣団は、利用の従兄で比較的年齢も近く、風貌もよく似ていた新屋敷南部家当主南部信浄の三男・善太郎を利用であるとして身代わりに立てた。
なお、文政4年(1821年)4月、盛岡藩の浪人である相馬大作による相馬大作事件が発生している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南部利用 (吉次郎)」の詳細全文を読む




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